の、一つとして…めちゃくちゃ影響を受けた、阪神淡路大震災から…今日、1月17日で27年が経つ。
43年の人生でいろんなことあったけど、やっぱり一番精神的にも肉体的にもしんどかった出来事は…27年前…16歳のこの日からの1年だったかな…
15歳で親元を離れ…専門学校の寮で暮らし、あと3ヶ月で社会人の仲間入りを果たそうとした16歳の冬…
突然、色んなものを失い…、また一からリスタートさせる…16歳には流石にキツかった…。命が助かっただけよかったじゃないか!…とか、そんな単純な事ではなかった。就職が決まっていた職場を失い…、お金を下ろすにも時間がかかり…住んでいた寮が全壊!荷物を取りに入ることも許されない。明日からの生き方がわからない。精神的に追い込まれている上にお風呂にも入れない。アトピー性皮膚炎が最高潮に現れた。
毎年この日になると阪神淡路大震災を振り返る。ブログもいつもこの内容だ。
今みたいに便利じゃなかったからね…丸2日電気の通らない生活…水道、ガスに関しては復旧まで1ヶ月とか2ヶ月くらいかかったんじゃなかったかな?と記憶している。
震災のあった当日はもちろん、どういう状況か全く自分達が置かれてる状況がわからない。
スマホでもあれば、情報もすぐ入るんだろうけど…。
もちろん鹿児島にいる家族にも今どう言う状況が伝える事もできない。それよりも、寮を外泊して友達の家に泊まっていたから寮母さんにすら連絡もできない。
その時は、スマホがないのが当たり前だったから…その事自体はそんなに不自由を感じなかった。
でも、コレが今…スマホが当たり前にある状況から一転…スマホすら使えない状況になったら今の子達は…どういう行動に出るのだろう。
16歳…まだまだアクシデントに対応するには未熟すぎる年齢。親が助けに来てくれるわけでもなく…。それでも、やっぱり周りの人達の協力や助け合いでどうにかこうにか生活を立て直す事ができた。
正直、この日からの1年が凄まじく早く過ぎたせいで…ところどころ、思い出せない事がある。携帯電話もないその時代…金沢から姉が車で物資を届けてくれたんだけど…どうやって連絡が取れて会う事ができたのか正直覚えていない。
震災の避難生活のさなか、インフルエンザにかかって、さらに大変だった事は覚えている。
バイト先のコックさんが…、震災で助かったのにその後の2月3日にインフルエンザで自宅で孤独死をしていた事は今でもはっきり覚えている。自宅の電話に手をかけて亡くなっていたそうだ。携帯電話があったら…助けを呼ぶ事ができたのかもしれない…
16歳の私には色んな事がショックすぎた。
それでも、悪い事ばかりでもなく…。地震があったからこそ出会えた縁もあって…、そこから、めちゃくちゃ仲良くなって今でも縁が続いてる友達がいるのも事実。
16だった私が43歳!19歳だったその友達が46歳!その後の人生のてんやわんやを全て見てきた友達だ。笑笑笑笑
悪い事ばかりではなかったが…、2度と経験したくはない出来事だった。
でも、その後27年間色んなことがあったけど、震災からの生活の復活劇に比べたら…大した事ないなー…ってとりあえず全ての事がとても小さな事…って思える。だからとりあえずどうにかなるなる精神でやっていけてるのは、ココの影響がかなりあるんじゃないかな…って、思う。
一昨日の津波警報は…色んな思いでテレビを見ていた。ちょうど阪神淡路大震災の数年前、テレビで見ていた、北海道奥尻島の津波中継をめちゃくちゃ思い出した。雲仙・普賢岳の大噴火、鹿児島の台風の水害、東北地震、熊本の地震…毎年、1月17日は色んな災害を思い出す。
バッキバキに折れた阪神高速も…いまでは…
ふっといふっとい柱になってる。コレが折れるくらいの地震が来たら…もう、日本なくなっちゃうかもね。
先日、大阪にお店と滞在中に住む家を探しに行ったけど…家を探しながら、震災後すぐに大阪に家を探しに行った時の事を思い出した。震災後借りた家が、今も賃貸情報で上がっていた。めちゃくちゃ見たくなった。Googleアースで思わず検索してしまった。笑
自分のルーツをいまやGoogleアースで辿れるなんて!すごい時代!
この先何が起きても、とりあえず、やっていけそうな気がする!!
そう思わせてくれる阪神淡路大震災。でもそう思えるのは命が助かったからこそだよなー。